大阪地方裁判所 昭和57年(ワ)6480号 判決 1986年5月14日
原告
小林克輔
小林初子
右両名訴訟代理人弁護士
小川邦保
被告
国
右代表者法務大臣
鈴木省吾
右指定代理人
笠原嘉人
外六名
右訴訟代理人弁護士
細川俊彦
被告
三宅宏司
右訴訟代理人弁護士
細川俊彦
被告
小西昌彦
神原利浩
小西大介
木村幹彦
右被告木村幹彦訴訟代理人弁護士
鏑木圭介
戸田正明
土本育司
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1(一) 被告らは、各自、原告らに対し、各金一〇一八万五九五〇円及びこれに対する被告国については昭和五七年九月一七日から、右被告以外の被告については同月一五日から、各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
(二) 被告小西昌彦、同神原利浩、同小西大介に対する右(一)の予備的請求
被告小西昌彦、同神原利浩、同小西大介は各自、原告らに対し、各金七五〇万円及びこれに対する昭和五七年九月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 被告国、同三宅宏司、同小西昌彦、同神原利浩、同小西大介
(一) 主文同旨。
(二) 担保を条件とする仮執行免脱宣言。
2 被告木村幹彦
主文同旨。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 当事者など
(一) 原告など
原告小林克輔は亡小林一雄(以下「一雄」という。)の父であり、同小林初子は一雄の母である。
一雄は、昭和五六年九月一五日当時大阪教育大学(以下単に「大学」ということがある。)教育学部小学校教員養成課程数学科一回生であり、同大学ヨット部に所属していた。
(二) 被告
(1) 被告国は、大阪教育大学を設置し、管理する者である。
(2) 被告三宅宏司(以下「被告三宅」という。)は、昭和五六年四月以降、本件事故(後述)当時も含めて、大阪教育大学の教官としてヨット部の顧問に就任していた。
(3) 被告小西昌彦(以下「被告昌彦」という。)は、本件事故(後述)当時大阪教育大学ヨット部の部長であり、同神原利浩(以下「被告神原」という。)は、同副部長であり、同小西大介(以下「被告大介」という。)は、同会計担当者であつた。
(4) 被告木村幹彦(以下「被告木村」という。)は、本件事故(後述)当時大阪教育大学ヨット部の部員であり、本件事故艇(後述)の同乗者であつた。
2 本件事故の発生
一雄は、次のとおりの事故(本件事故)により溺水死した。
(一) 発生日時
昭和五六年九月一五日
(二) 発生場所
琵琶湖の滋賀県滋賀郡志賀町から沖合野州町浄水場を見渡した線上の中央部付近
(三) 事故艇(以下単に「艇」ということがある。)
四七〇級のヨットであり、大阪教育大学ヨット部が所有していた。
(四) 事故態様
本件事故艇の乗員は、ヨット部員の一雄、被告木村、右被告の姉でヨットスクール(後述)のスクール生である田里明子(以下「明子」という。)であり、本件事故艇が転覆し、それを復元したのち、本件事故艇から手を離した一雄が、被告木村の後記の救助の不手際も原因となつて、溺水死した。
3 被告らの責任
(一) 被告国の責任
(1) 本件事故が発生したヨットスクールの性格
本件事故が発生したヨットスクール(以下「本件ヨットスクール」という。)は、大阪教育大学ヨット部定期活動として同大学に届け出られたヨット部としての正規の活動である。
(2) ヨット部と大学との関係
(ア) 大阪教育大学ヨット部は、昭和四七年ころ、大阪教育大学ヨット同好会として発足し、発足当初よりその本拠を小豆島においていたが、同五六年四月にヨット部として大学に届け出て、大学から右届出を受理された。
(イ) ヨット部は、右大学から右届出を受理されると同時に、その本拠を琵琶湖湖畔に移転することになつた。大学は、ヨット部の本拠の右移転のために、大学自ら、滋賀県滋賀郡志賀町今宿二七三番地所在の今宿荘の所有者田中宏から、今宿荘の一部を、大学関係者が泊れる形式のいわゆる湖の家として賃借したが、右湖の家には、ヨット部の部員の私有物やヨット部品などが置かれ、現実にはヨット部関係者以外は泊れない状態になつていた。また、大学は、被告国の費用でヨットを保管する艇庫を今宿荘敷地内に設置している。さらに、ヨット部が使用しているヨット六艇のうち二艇は、大学が被告国の費用で購入し右被告の所有としたものであり、かつ、ヨット部が監視船として使用していたモーターボート、手漕ぎボート各一艇、及び右手漕ぎボートに備え付けて使用していた船外機三台も、同じく大学が被告国の費用で購入し右被告の所有としたものである。
(ウ) ヨット部は、大阪教育大学の運動部の一つであり、ヨットに関する操舵、製作を通じ、ヨットに関する知識、技能を高め、合わせて海洋に親しみ、心身を鍛練し、部員相互の親睦を図ることを目的としている。ヨット部の構成員は、大学在籍学生から成り、ヨット部が使用するヨットのうち被告国所有のヨットの購入資金は、別途右被告の予算によつて支弁されるほか、ヨット部の活動費用は、大学が右被告から交付される補助金の中から支給する補助金や部員の負担する部費及び大学卒業生からの寄付金でまかなわれており、かつ大学が任じた大学教官(本件事故当時は被告三宅が右教官に該当する。)が顧問となり、ヨット部の活動を監督している。また、部員が長期間にわたり、大学外においてヨット操舵訓練を行うなどの活動計画を立てたときは、顧問教官や学生課補導部へ「学外における行事許可願」を提出してその承認を得たうえで、さらに学生部長の承認も得なければならないとされている。
(エ) 以上の事情によれば、ヨット部は、大阪教育大学が学生に教育と体育を実施させるための一機関として存在しているといつてよく、その活動は結局大学としての行動であるというべきである。
(3) 大学当局の指導監督義務
(2)でみたところによれば、大学当局は、ヨット部に対し、以下の点を指導監督する義務があつたというべきである。
(ア) 滋賀県小型船安全規則で定められたとおり、各ヨットの各最大とう載人数を合計した数の救命胴衣を艇庫に備えつけておくのみならず、ヨットを湖上に出艇させるさいには、必ず各ヨットの最大とう載人数にみあう救命胴衣を各艇に備えつけるようにすること。
(イ) ヨット乗艇時には救命胴衣を着用すること。
(ウ) ヨットスクールを行うさいには、各ヨットが同じコースを帆走し、モーターボートなどが伴走し、かつ各ヨットに少なくとも一人はヨット操舵に熟練した上回生が乗艇するようにすること。
(4) 被告国の責任
しかるに、大学当局は、右指導監督義務を怠り、ヨット部に救命胴衣が八、九個しか存在しないという状態を看過し、そのため本件ヨットスクールのさいに一雄が救命胴衣を着用できず、さらに本件ヨットスクールにおいて、本件事故艇だけが他のヨットと異なるコースを帆走し、モーターボートの伴走がなく、かつ一回生同士が本件事故艇に同乗する、などの事態を惹起し、その結果本件事故が発生し、一雄は死亡するに至り、一雄及び原告らは後記損害を被つた。
よつて、被告国は、国家賠償法一条一項により、右損害を賠償すべき責任を負う。
(二) 被告三宅の責任
(1) 本件事故が発生したヨットスクールの性格
(一)(1)と同一であるから、これを引用する。
(2) ヨット部と大学との関係
(一)(2)と同一であるから、これを引用する。
(3) 被告三宅の責任
被告三宅は、ヨット部の顧問の教官であるから、ヨット部の活動や運営について指導監督義務があり、したがつてヨット部に対して(一)(3)の指導監督を行う義務を負つていたにもかかわらず、これを怠り、その結果、本件事故を惹起させて、一雄を死亡させ、一雄と原告らに後記損害を与えたので、民法七〇九条により、これを賠償する責任を負う。
(三) 被告昌彦、同神原、同大介の責任
(1) 本件ヨットスクールの性格
(一)(1)と同一であるから、これを引用する。
(2) 被告昌彦、同神原、同大介の責任
(ア) (主位的請求関係)
被告昌彦はヨット部の部長、同神原は同副部長、同大介は同会計担当者として、それぞれヨット部の活動や運営について指導監督責任があり、かつ右被告らは、琵琶湖には琵琶湖特有の突風(いわゆる比叡おろし)が吹くことを十分認識していたものであり、したがつて、ヨット部に対して(一)(3)の指導監督を行う義務を負つていたのにもかかわらず、これを怠り、その結果、本件事故を惹起させて、一雄を死亡させ、一雄と原告らに後記損害を与えたので、民法七〇九条により、これを賠償する責任を負う。
(イ) (予備的請求関係)
かりに、右被告らに(一)(3)の指導監督を行う義務がないとしても、ヨット部は従来毎年財団法人スポーツ安全協会のスポーツ安全傷害保険に部員全員が加入する手続を行つており、右被告らは、昭和五六年度にも、部員全員が右保険に加入する手続を行うべき注意義務があつたのにもかかわらず、これを怠つた。
そうすると、右被告らは、民法七〇九条により、少なくとも、かりに右被告らが右保険加入手続を行つていれば、本件事故が発生したときに、原告らに対して支払われるべき保険金各七五〇万円相当額を、各原告らに対し賠償する責任を負う。
(四) 被告木村の責任
被告木村には、次のとおりの過失があり、その結果一雄を死亡させ、一雄と原告らに後記損害を与えたので、民法七〇九条により、これを賠償する責任を負う。
(1) 転覆した本件事故艇を復元するさいに、艇首を風上の方向に向けなければならない注意義務があつたのにもかかわらず、被告木村がこれを怠つたことにより、本件事故艇が復元後メインセールに風を受けて流れ出し、一雄が本件事故艇につかまることを不可能にさせた過失。
(2) 本件事故発生当時は強風状態であつたのであるから、本件事故艇が復元後メインセールに風を受けて流れ出し、そのため一雄が本件事故艇につかまれない事態が発生することのないように、風が弱まるまで本件事故艇を復元するのを待つか、かりに風が弱まるのを待たずに本件事故艇を復元するとしても、被告木村のみならず一雄も復元後本件事故艇につかまれるように配慮すべき注意義務があつたのにもかかわらず、被告木村がこれを怠り、風が弱まるのを待たず、かつ慢然とセンターボードを手でつかんで体重をかけて一気に本件事故艇を復元したことにより、一雄が本件事故艇復元後本件事故艇につかまることを不可能にさせた過失。
(3) 被告木村が本件事故艇復元後本件事故艇に乗り込んでからは、手でメインシートをつかんで離してはならない注意義務があつたのにもかかわらず、これを怠り、メインシートから手を離した過失。
(4) 被告木村は、本件事故艇を復元させたのち、救命胴衣を着用していない一雄が本件事故艇から手を離し、溺れている様子を至近距離に見たのであるから、再度本件事故艇を転覆させて固定状態にし、かつウイスカポールにかけられているロープ類を利用して一雄を救助すべき注意義務があつたのにもかかわらず、これを怠つた過失。<以下、事実省略>
理由
一請求原因1(当事者)の事実は、原告らと被告国、同三宅、同昌彦、同神原、同大介との間では争いがなく、同1(一)(原告など)、1(二)(4)(被告木村)の事実は、原告らと被告木村との間では争いがない。
二次に、一雄及び被告木村のヨット歴及び本件事故の経過について検討する。
本件事故の発生日時は昭和五六年九月一五日であり、本件事故の発生場所は琵琶湖の滋賀県滋賀郡志賀町から沖合野州町浄水場を見渡した線上の中央部付近であり、本件事故艇は四七〇級のヨットであつて大阪教育大学ヨット部が所有していたこと、本件事故艇の乗員はヨット部員の一雄、被告木村、右被告の姉でヨットスクール生の明子であつたこと、及び一雄が死亡したことは、当事者間に争いがない。
一でみた事実、右争いのない事実に、<証拠>を合わせれば、以下の事実を認めることができる。
1 一雄及び被告木村は、昭和五六年四月、大阪教育大学に入学し、その後の同月中旬ころ、大阪教育大学ヨット部に入部し、ともに右入部以来本件事故時までにヨット部の部活動において約八〇時間ヨットに乗艇しており、そのヨットの操舵に関する技量は、ほぼ同等であつた。ヨットを一応単独で操舵できるようになるための乗艇時間は約一五、六時間とされており、既に約八〇時間乗艇していた一雄及び被告木村のヨットの操舵に関する技量は相当の程度に達していたものであり、両名とも、これまでも、ヨット部が開催したヨットスクールにおいて、スキッパー(艇長)としてヨットスクール生を乗艇させてその指導にあたつた経験がある。また、ヨットが転覆した場合の対応の方法については、同年七月ころ、ヨット部の上回生の部員が実際にヨットに同乗して、一雄及び被告木村を含む一回生の部員に対して、マンツーマンで指導した。
なお、昭和五六年三月中ごろに、ヨット部の練習場が小豆島から大学からの交通の便がよい琵琶湖の今宿浜(滋賀県滋賀郡志賀町所在)に移転したことにより、部員の練習時間は大幅に増加し、同時に技術的にも飛躍的に上達したのであつて、本件事故当時上回生の部員と一回生の部員との間にはヨットの操舵に関し、それほどの技量の差はなかつた。
2 昭和五六年九月一五日、大阪教育大学ヨット部の部長である被告昌彦、同会計担当者である同大介、その他ヨット部員である江崎一博、長岡福一、上田匠、一雄、被告木村が参加して、明子(当時の姓は木村であり、現在の姓は田里である。)ほか六名のヨットスクール生のためのヨットスクール(このヨットスクールが本件ヨットスクールである。なお、本件ヨットスクールがヨット部の部活動といえるか否かについてはのちに判断することにする。)が琵琶湖の今宿浜において開催された。
同日午前中に、各ヨットに元ヨット部員または現ヨット部員一名ないし二名がヨットスクール生二名ないし一名を乗艇させてヨットスクールを行い、各ヨット着艇後昼食、休憩をはさみ、午後も引き続きヨットスクールを行うことになつた。
右午後のヨットスクールにおいて、一雄及び被告木村は、同日午後二時一〇分ないし二〇分ころ、他の三艇とほぼ同時に、右被告の姉でありヨットスクール生である明子を指導するために、明子を伴つて本件事故艇に乗艇し、今宿浜から琵琶湖へ出艇した。右出艇当時は、北から南に向つて少し強い風が吹いていたが、午前中に各ヨットが着艇したときと変わりはなく、一雄や右被告の技量からみて本件事故艇の操舵に支障をきたす程度ではなかつた。ヨット部では、以前右出艇時よりも強い風が吹いた場合でもヨットに乗艇して練習したことがあつた。なお、同日午後四時一五分に彦根地方気象台の発表した湖上気象情報は、関東付近の局地的な低気圧の影響で湖上では間もなく北西の風が強まり、最大風速は秒速一〇メートル内外となつて突風を伴い風波が高くなるので、船舶は注意されたい旨の内容のものであつたが、本件事故艇の出生のさいの気象状況は前記のとおりであつた。
本件事故艇については、一雄が艇長(スキッパー)になり、本件事故艇のティラー(舵柄すなわち舵であるラダーを操作するための柄)とメインシート(メインセール(主帆)を操作するためのロープ)を操作してヨットの方向を定めることになつたが、一雄が艇長になつたのは特に他の者から指示されたのではなく、一雄が自ら進んで引き受けたものである。右被告は、クルーとして、ジブシート(ジブセール(前部三角帆)を操作するためのロープ)を操作してジブセールを調整したり、センターボード(ヨットを風上に向けて帆走させる場合に生じる横流れを防ぐために水中に立てられる板)を上下に調整したり、風が強いときにトラピーズ(クルーが艇外に体を乗り出してバランスをとるさいに用いるワイヤー)を使つて体を艇外に乗り出して艇のバランスをとることになつた。出艇時から本件事故発生時まで右被告がトラピーズを使用した場合を除き、一雄が艇尾、右被告が艇の中程の左側、明子は艇の中程右側に位置した。乗艇にさいし、救命胴衣は明子のみが着用し、一雄も右被告も救命胴衣を着用していない。
なお、右午前中の各ヨットの出艇直後に、江崎、長岡、被告昌彦が、監視船として手漕ぎボートに船外機を取り付けて乗艇して今宿浜を出艇したが、出艇の約五分後に船外機が水中に落ちて水に濡れて作動しなくなつたため、今宿浜に戻つた。他の船外機二台も使用不能の状態であり、モーターボートも故障していたので、結局再び監視船を出艇させることはなかつた。午後のヨットスクールにおいても、監視船は出艇させなかつた。午後のヨットスクールにおいては、帆走水域は各艇の各スキッパーの判断に委ね、時間(約二時間)だけが指示されていた。このため、各艇(本件事故艇を含めて四艇)は互いに離れていた。
3 一雄は、本件事故艇出艇後沖合に出るまで、ラダーが下がらないために何度も艇をえり(定置漁具の一つ)に接触させるなど、操艇に手間どつたが、ラダーが下がらないままえりを抜け出し、その後クローズホールド(ぎりぎりの角度で風上に向つて走ること)で本件事故艇を北東の方向へ進めながら、ラダーを下げる作業を繰り返すうちに、まもなくラダーが下がつたので、さらにクローズホールドで同一の方向である北東の方向へ進め転覆するまで方向を変更することはなかつた。被告木村は、風が強いために、艇のバランスをとるためにハーネス(トラピーズを使用するさいに着用するチョッキ)を身につけてトラピーズを使用して艇外に体を乗り出していたが、転覆直前には艇内に体を戻していた。
同日午後三時〇五分ころ、本件事故艇は、突然風の吹いてくる方向とは反対側の方向(南東の方向)に一八〇度裏返しになつて転覆し、一雄、右被告、明子は三人とも艇外に放り出された(なお、右被告はジブセールの上に放り出された。)本件事故艇の右転覆の原因は、突風などの自然状態の急激な変化ないし一雄自身のヨットの操舵についての過誤などが考えられるが、現在も不明である。
4 本件事故艇の右転覆後間もなく、被告木村は、艇底によじ登り、センターボードに手をかけていた。一方、一雄と明子は、艇尾につかまつていたが、一雄が後記のとおり艇の上に乗つて艇を起こそうとしたさいに、明子に対し、危険であるから艇から少し離れるように指示をしたので、明子はやむなく艇から手を離した。ヨットが転覆した場合はヨットから手を離さないというのが鉄則であるから、一雄の指示は誤つている。明子は、右のとおり艇から手を離したために、艇から徐々に離れていつた。
そして、右被告は、特に風が弱まるのを待たずに、センターボードを両手でつかんで艇底に立ち、体重をかけて艇を起こし始めたが、そのさい一雄は艇底には立つていなかつたものの、艇の縁に足をかけて片手でセンターボードをつかんで右被告と同時に体重をかけて艇を起こそうとしていた。また、一雄は、艇が約四五度にまで復元したさいに、開いていたセルフベーラー(ヨットの走行中にヨットの中に入つた水を排水する装置であり、ヨットの走行中はセルフベーラーが開いていれば、水は自然に排水されるが、ヨットが停止した場合セルフベーラーが開いていれば、逆にヨットに水が入つてくる。)を手でたたいて閉めようとしていた。艇の復元作業中、一雄と右被告とはお互いに全く言葉を交わしておらず、各自がそれぞれの判断で行動したが、結果的には、両者の呼吸は暗黙のうちに一致した。また、艇を復元するさいに力を入れすぎると艇が三六〇度回転して裏返しになるが、一雄及び右被告は適切な力を加えたので、艇は右約四五度まで復元したのちも急激に復元することなく最後まで徐々に復元し、結局復元作業は一回で成功した。本件事故艇は、転覆直後には艇首を風上(北東)の方向に向けていたが、右復元作業中に艇首の方向が風下(南)の方向に変化していつた。右被告は、艇を早急に復元させること以外は考えていなかつたので、艇首の方向が風下の方向に変化していつていることに気がつかずにいて、艇首を風上の方向に向けることをせず、一雄も、右被告に対し、艇首の方向が風下の方向に変化していつていることを注意せず、かつ艇首を風上の方向に向けることをしなかつた。本件事故艇は、復元直後に、右のとおり艇首の方向が風下の方向を向いていたので、メインセールがその後方から風を受け、風下の方向(前方)に流れ出したが、右被告は、瞬間的に艇から手を離したものの直ちに艇尾左側を手でつかみ、艇のスキッパーの位置に乗り込んだ。これに対し、一雄は本件事故艇の復元直後に艇から手を離したため、右復元直後には艇の直後にいたものの、右被告が艇のスキッパーの位置に乗り込んだ時点では艇の後方(北方)約一〇メートルのところに離れていた。一雄が本件事故艇から右のように手を離した原因は現在も不明である。なお、明子は、一雄よりもさらに艇から後方にいた。
右被告は、右艇のスキッパーの位置に乗り込んでから直ちに本件事故艇の後方(北方)にいる一雄及び明子を救助する方法を考え、まず本件事故艇を反転させて艇首を風上に向け、そしてクローズホールドで帆走し、タッキング(風上に向つて方向転換をすること)を行うことによつて一雄及び明子を救助できると判断した。そこで、右被告は、風を後方から受けて横向きになつていたメインセールを調整するためメインシートを引き、メインセールを中の方に引き込みながら、ティラーを右側に押して同時に体を移動させ、これにより艇を反転させて艇首を風上の方向に向けた。艇を反転させたさい、一雄及び明子は、依然として風上の方(艇の右前方)により、右被告は、右の時点では、一雄も明子も容易に救助できると考えており、明子に対しては一雄が救命胴衣を着用していないので一雄を先に救助しに行く旨声をかけたり、一雄に対してもすぐ行くとか少し待つようになどと呼びかける余裕もあつた。また、一雄も、艇の復元後、明子の方に向きを変えて約二〇ないし三〇秒間明子の方に泳いで近づき、明子に励ましの言葉をかけて落ち着かせる努力をしており、明子は一雄に明子の着用していた救命胴衣につかまるようにすすめたが、一雄は明子にすぐ救助に行くから少し待つように言つて泳いで艇に近づこうとした。しかし、一雄と艇との距離は次第に広がつていつた。
そして、右被告は、タツキングに入る前に舵がとりにくいのでラダーを見ると、ラダーが水面上に上り舵としての機能を全く喪失していることに気づいた。ラダーが舵としての機能を喪失した状態でメインセールに風を受けると艇がむやみに回転したり、再び転覆したりする危険があり、このような場合には、メインシートから手を離し、メインセールを緩めてメインセールから風を逃してやる必要があるので、右被告は、メインシートから手を離し、かつラダーを水面下に固定すべく、ラダー降下用のワイヤーに接続されているロープを引いたが、右ラダー降下用のワイヤーをラダーに取り付けている金具がはずれてしまつていたために、右ワイヤーは抜けてしまい、ラダーを下げることはできなかつた。右被告は、本件事故艇のラダーが舵としての機能を全く喪失し、本件事故艇で一雄及び明子の救助に向かうことが不可能であることが判明したので、瞬間的には泳いで救助に行くことも考えたが、水面の波が高く湖面は非常に泳ぎにくい状態であつたため、泳いで救助に行くことは不可能であり、他の艇に救助を求める以外に一雄及び明子を救助する方法はないと判断し、最も近くにいた他のヨットに大声で救助を求めた。また、右被告は、艇内にあつたウイスカポール(ウイスカポールとは、風が後方から吹いている場合、ジブセールをメインセールの反対側に張り出すために帆柱に取り付ける長さ約一・五メートルの木製の軽いささえ棒であり、本件事故艇の転覆時にはロープ類にひつかかつていたために流されずに艇内に残存していた。)を発見して、一雄の方に投げたものの、一雄には届かなかつた。なお、ウイスカポールは、ほとんど浮力がないので、たとえ一雄のもとに届いたとしても、一雄の救助には役に立たないが、右被告は、右のことを考える余裕はなく、ただ水に浮く物を探してたまたま艇内に残存していたウイスカポールを投げたものである。本件事故艇内には、ウイスカポールが転覆時にロープ類にひつかかつていたことからも明らかなように、ロープ類があつたものの、人の救助の用いることのできるようなロープ類はなかつた。また、一雄は、本件事故艇が反転したころには、右被告に「何やつてんねん、はよ来てくれ。」と笑いながら言うなどまだ余裕があつたが、右被告がウイスカポールを投げたころには、「あかんて、あかんて、ほんまにあかんて。」と言うなど溺れている状態であつた。その後、艇は南の方へ流されて行き、一雄や明子と艇との距離は広がるばかりであつた。他のヨットが、本件事故現場に到着したときは、既に、一雄は水没して見えなくなつており、右他のヨットも周辺をくまなく探したが、一雄を発見することができなかつた。明子は、ほとんど泳げないものの、救命胴衣を着用していて水面に浮かんでいたので、右他のヨットにより救助された。右被告の乗つた本件事故艇は、しばらくの間流されていたが、右被告は、右他のヨットにより救助された。なお、右被告は、姉である明子が泳げないことを認識していた。
本件事故の発生場所は、琵琶湖の滋賀県滋賀郡志賀町から沖合野州町浄水場を見渡した線上の中央部付近であつた。(本件事故艇が転覆し、それを復元したのち、一雄が本件事故艇から手を離したことは、原告らと被告木村との間では争いがない。)
5 一雄は、同年一〇月一九日午後八時三〇分ころ、滋賀県滋賀郡志賀町北小松小松漁港沖合三キロメートル地点水面中で水死体で発見された。一雄の死因は溺水死であつた。(一雄が溺水死したことは、原告らと被告木村との間では争いがない。)
以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りるほどの証拠はない。
三そこで、まず被告木村の損害賠償責任の有無について判断する。
1 まず、原告らは、右被告には、転覆した本件事故艇を復元するさいに、艇首を風上の方向に向けなければならない注意義務があつたのにもかかわらず、これを怠つたことにより、本件事故艇が復元後メインセールに風を受けて流れ出し、一雄が本件事故艇につかまることを不可能にさせた過失があると主張する。
なるほど、二でみたとおり、本件事故艇は転覆直後には艇首を風上の方向に向けていたものの、一雄及び右被告による本件事故艇の復元作業中に艇首の方向が風下(南)の方向に変化していつたが、右被告は艇を早急に復元させること以外は考えていなかつたので、艇首の方向が風下の方向に変化していつていることに気がつかずにいて、艇首を風上の方向に向けることをせず、一雄も右被告に対し、艇首の方向が風下の方向に変化していつていることを注意せず、かつ艇首の方向を風上の方向に向けることをせず、したがつて、艇は復元直後には艇首が風下の方向を向いており、そのためメインセールがその後方(風上)から風を受けることによつて、風下の方に流れ出し、右被告は瞬間的に艇から手を離したものの直ちに艇尾左側を手でつかんで艇のスキッパーの位置に乗り込んだが、一雄は艇の復元直後に艇から手を離したため、右被告がスキッパーの位置に乗り込んだときには既に艇の後方約一〇メートルのところに離れていたのである。右二でみた事実に<証拠>によれば、本件事故艇を復元するさいに、艇首を風上の方向に向けていれば、復元直後に艇が風下に流れ出すことがなかつたので、右被告は、本件事故艇を復元するさいに艇首を風上の方向に向けた方が妥当であつたということはできる。
しかしながら、二でみたとおり、本件事故艇が琵琶湖沖合において、突然転覆し、一雄、右被告、明子は三人ともいつたんは艇外に放り出されたという緊急事態が発生し、一雄及び右被告は艇につかまつたものの救命胴衣を着用しておらず、また明子はいつたんは艇尾につかまつたものの一雄の指示により艇から離れており、しかも明子は救命胴衣を着用しているとはいえほとんど泳げず、かつ右被告は明子がほとんど泳げないことを認識していたのであり、そして右状況下において艇を転覆後直ちに復元させること自体は至当の措置であるといえるのであるから、右二でみたとおり右被告がヨット部の上回生からヨットが転覆した場合の対応の方法について指導を受けたことがあることを考慮しても、なお右被告が、本件事故艇の復元作業にさいして、艇を早急に復元させること以外は考えず、そのために、艇首の方向が風下の方向に変化していつたことに気がつかず、かつ艇首の方向を風上に向けなかつたことをもつて、右被告の過失とまで断定することはできないというべきである。
したがつて、右原告らの主張は理由がない。(なお、かりに、右被告が本件事故艇の復元作業にさいして艇首の方向を風上に向けなかつたことを右被告の過失といえるとしても、一雄が本件事故艇の復元直後に艇から手を離した原因が不明であるため、右過失と右一雄が艇から手を離したこととの間に因果関係を認めることができず、したがつて、右過失と一雄の死亡との間の因果関係を認めることができないので、いずれにせよ右過失の存在を理由とする右被告の損害賠償責任は認められない。)
2 次に、原告らは、右被告には、本件事故発生当時は強風状態であつたのであるから、本件事故艇が復元後メインセールに風を受けて流れ出し、そのため一雄が本件事故艇につかまれない事態が発生することのないように、風が弱まるまで本件事故艇を復元するのを待つか、かりに風が弱まるのを待たずに本件事故艇を復元するとしても、右被告のみならず一雄も復元後本件事故艇につかまれるように配慮すべき注意義務があつたのにもかかわらず、これを怠り、風が弱まるのを待たず、かつ慢然とセンターボードを手でつかんで体重をかけて一気に本件事故艇を復元したことにより、一雄が本件事故艇復元後本件事故艇につかまることを不可能にさせた過失があると主張する。
しかしながら、1でみたとおり、右被告が本件事故艇の復元作業にさいして、艇首の風上の方向に向けておくことが妥当であり、艇首の方向を風上の方向に向けておきさえすれば艇は復元直後に風下の方向に流れ出すことはなかつたとはいえるものの、本件事故艇を転覆後直ちにその復元作業を行うこと自体は至当の措置であつて、風が弱まるのを待つて復元作業を行う必要はなかつたといえる。
また、二でみたとおり、右被告は、センターボードを両手でつかんで艇底に立ち、体重をかけて艇を起こし始めたが、そのさい一雄は艇底には立つていなかつたものの、艇の縁に足をかけて片手でセンターボードをつかんで右被告と同時に体重をかけて艇を起こそうとし、さらに艇が約四五度にまで復元したさいに、開いていたセルフベーラーを手でたたいて閉めようとしており、両者の呼吸は暗黙のうちに一致し、かつ右被告及び一雄が適切な力を加えたので、艇は右約四五度まで復元したのちも急激に復元することなく最後まで徐々に復元し、結局復元作業は一回で成功したのであつて、右被告の復元作業には、艇首を風上の方向に向けなかつた点を除き、格別適切を欠くところはなかつたということができる。
したがつて、右原告らの主張は理由がない。
3 次に、原告らは、右被告には、本件事故艇復元後本件事故艇に乗り込んでからは、手でメインシートをつかんで離してはならない注意義務があつたのにもかかわらず、これを怠り、メインシートから手を離した過失があると主張する。
しかしながら、二でみたとおり、右被告は本件事故艇復元後本件事故艇に乗り込み、本件事故艇を反転させ、タッキングをしようとしたさいに、ラダーが水面上に上り舵としての機能を全く喪失していることを発見したのであり、このようにラダーが舵としての機能を喪失した場合には、メインセールに風を受けると艇がむやみに回転したり、再び転覆したりする危険があるため、メインシートから手を離し、メインセールを緩めてメインセールから風を逃がしてやることが必要であつて、右被告がメインシートから手を離したことに適切を欠く点があつたとはいえず、むしろ右被告がメインシートから手を離したことは妥当であつたということができる。
したがつて、右原告らの主張は理由がない。
4 次に、原告らは、右被告には、本件事故艇を復元させたのち、救命胴衣を着用していない一雄が本件事故艇から手を離し、溺れている様子を至近距離に見たのであるから、再度事故艇を転覆させて固定状態にし、かつウイスカポールにかけられているロープ類を利用して一雄を救助すべき注意義務があつたのにもかかわらず、これを怠つた過失があると主張する。
なるほど、二でみたとおり、右被告は、本件事故艇を復元させたのち、本件事故艇で艇の後方にいた一雄の救助に向かおうとしたが、本件事故艇のラダーが舵としての機能を全く喪失しており、本件事故艇で一雄の救助に向かうことが不可能であることが判明し、その後、救命胴衣を着用していない一雄が溺れている様子を発見したとはいえ、この時点で、本件事故艇が風に流されるのを避けるためにこれを再度転覆させることを求めることは、右被告にとつて自殺行為を求めるに等しいものであつて妥当ではなく、また本件事故艇を再度転覆させたとしても、本件事故艇は風に流された可能性がないと認めるに足りる証拠はなく、しかもかりに本件事故艇を再度転覆させることによつて本件事故艇が固定状態になつたとしても、二でみたとおり、当時波が高く湖面は非常に泳ぎにくい状態であつたから、一雄が泳いで本件事故艇に到達できたということはできず、かつ本件事故艇には、ウイスカポールにかけられていたものに限られず一雄の救助に用いることのできるロープ類は全く存在しなかつたのである。このような事情のもとにおいて、右被告に本件事故艇を再度転覆させて固定状態にし、かつウイスカポールにかけられていたロープ類を利用して一雄を救助すべき注意義務があつたとすることはできない。
したがつて、右原告らの主張は理由がない。
5 そうすると、被告木村には、原告らの主張するいずれの過失(注意義務違反)も認めることができず、したがつて、その余の点について判断するまでもなく、右被告は、一雄及び原告らに対し、不法行為による損害賠償責任を負担しないものというべきである。
四次に、被告国、同三宅、同昌彦、同神原、同大介の損害賠償責任の有無を判断する前提として、本件ヨットスクールが大阪教育大学ヨット部の通常の部活動といえるか否かにつき判断する。
右二でみた事実に、<証拠>及び弁論の全趣旨を合わせれば、以下の事実を認めることができる。
1 大阪教育大学ヨット部は、大阪教育大学の運動部の一つであり、ヨットの操舵、製作を通じて、ヨットに関する知識、技能を高め、合わせて海洋に親しみ、心身を鍛練し、部員相互の親睦を図ることを目的としている。ヨット部の規約には、ヨット部の活動内容として、操舵訓練、夏期強化合宿、ヨット製作、機関誌の発行、一般向け講習会を行う旨定められている。(ヨット部は、大阪教育大学の運動部の一つであり、ヨットに関する知識、技能を高め、合わせて海洋に親しみ、心身を鍛練し、部員相互の親睦を図ることを目的としていることは、原告らと被告国、同三宅との間では争いがない。)
2 ヨット部は、昭和五六年五月二二日にヨット部として届け出る以前はヨット同好会であつたが、ヨット同好会であつた昭和五三年七月に体育会(学生の自治団体の一つである。)主催のヨットスクールを後援する形で第一回目のヨットスクールを開催し、昭和五四年以後は毎年八月に定期的にヨット同好会主催のヨットスクールを開催してきた。昭和五六年五月二二日に大学に対する届出により同好会からヨット部になつたのちも、ヨット部は、(イ)同年八月三日ないし同月五日、大学学生課にヨットスクールを開催する旨届け出て、ヨットスクール生四名(内学外者二名)を参加させてヨットスクールを開催した。しかし、大学学生課には、右ヨットスクールに学外者二名を参加させることは届け出なかつた。ヨット部が右ヨットスクール生から集めた受講料はヨット部の収入とした。ヨット部は、さらに(ロ)同月五日、同月七日から同月八日にかけて、同月八日、同月三〇日にそれぞれ学外者を対象とするヨットスクールを開催した。そのさい、被告昌彦が大学学生課職員に学外者を対象としたヨットスクールを開催したい旨相談したところ、右職員は、学外者を対象としたヨットスクールを開催することを公にされては困るが黙認する旨回答したので、ヨット部は右いずれのヨットスクールも大学学生課にヨットスクールとしては届け出ずに、ヨットスクールを開催した。右いずれのヨットスクールにおいても、ヨットスクール生から集めた受講料はヨット部の収入とした。なお、ヨット部は、同月二八日ないし同月三〇日にも、ヨットスクールを開催したが、これは被告三宅が元ヨット部員(大学卒業生)と現ヨット部員との交流を図ることを目的として開催したもので、ヨットスクールの名目を付しているものの、元ヨット部員と現ヨット部員のみが参加したものである。
本件ヨットスクールは、ヨット部の部長である被告昌彦、同会計担当者である同大介、その他ヨット部員五名が参加し、全員学外者であるヨットスクール生七名を対象として行われた。本件ヨットスクールは、大学学生課には、ヨットスクールとしてではなく、単に同年九月一二日ないし同月一五日にかけて行うヨット部定期活動の一部として届け出られているが、これは、右のとおり、右(ロ)の学外者を対象とするヨットスクールを開催するにあたり、大学学生課職員から学外者を対象とするヨットスクールを開催することを公にされては困るが黙認する旨の回答を得ていたので、学外者を対象とする本件ヨットスクールを、ヨットスクールとして大学学生課に届け出ることができなかつたからにすぎず、本件ヨットスクールの内容は、右(イ)のヨットスクールとの間に差異はなかつた。
また、本件ヨットスクールは、ヨット部が日常練習ないしヨットスクールを行う場所としている琵琶湖今宿浜において、ヨット部が日常部活動のために使用している被告国ないしヨット部所有のヨットや備品などを使用し、かつ、大学がヨット部の活動の便宜に供するために大阪教育大学教育振興会(大阪教育大学の学生の父兄からなる財政援助団体である。)の名で賃借し、ヨット部が日常活動のために宿泊所や休憩場として使用している滋賀県滋賀郡志賀町今宿二七三番地所在の今宿荘内のいわゆる湖の家を休憩所として使用して行われたものである。
本件ヨットスクールにおいてヨットスクール生から集めた受講料(ヨットスクール生一人あたり四〇〇〇円、合計二万八〇〇〇円)は、本件ヨットスクールに参加するために要した部員の交通費にもあてるが、残りはヨット部の各艇の修理、備品の購入、さらに新艇の購入費用にあてる予定であつた。本件事故報告書を作成するために書かれた最初の原稿(甲第二号証)にも、本件ヨットスクールにおいてヨットスクール生から集めた受講料は、ヨット部の各艇の修理、備品の購入、さらに新艇の購入費用にあてる予定であつた旨記載されている。
3 本件事故後大阪教育大学ヨット部遭難救援連絡会(この会にはヨット部が関与している。)が一雄の捜索費用の募金を呼びかけたビラ(甲第一〇号証)には、本件のヨットスクールはヨット部の合宿である旨記載されており、かつ本件事故報告書の最初の原稿(甲第二号証)、最初(昭和五六年一二月九日)に原告らに交付された本件事故報告書(甲第三号証)、二回目(同五七年一月一〇日)に交付された本件事故報告書(甲第八号証)、三回目(同年四月七日)に交付された本件事故報告書(甲第四号証)、四回目(同年六月二〇日)に交付された本件事故報告書(甲第五号証)、そしてヨット部から正式に本件事故の報告書として関係者に配布された本件事故報告書(甲第一号証)においても、一貫して、本件ヨットスクールがヨット部の定期活動である旨明記されている。また、原告らの代理人(本訴においても原告らの訴訟代理人に選任されている。)小川邦保弁護士が本訴を提起する前に、被告昌彦、同神原、同大介を、同弁護士の事務所に呼んで話し合いをしたさい、右被告らは、本件ヨットスクールがヨット部の部活動であることを前提として話し合い、本件ヨットスクールが、ヨット部の部活動とは関係がない旨のことは一切申し出なかつた。
以上の事実が認められ、<反証排斥略>。
右認定事実によれば、本件ヨットスクールは、ヨット部の通常の部活動の一つとしてされたものであるということができる。
被告国、同三宅、同昌彦、同神原、同大介らは、本件ヨットスクールは、ヨット部の部活動として行われたものではなく、一部のヨット部員によつて個人的に行われたものである旨主張するが、右主張の理由がないことは、既にみたとおりである。
五次に、同じく、被告国、同三宅、同昌彦、同神原、同大介の損害賠償責任の有無を判断する前提として、大学とヨット部の活動内容及び運営方法について検討する。
四でみた事実に、<証拠>を合わせれば、以下の事実を認めることができる。
1 大阪教育大学ヨット部は、昭和四七年六月一五日、大阪教育大学ヨット同好会として大学学生課に届け出て大学から右届出を受理されて発足し、さらに同五六年五月二二日に、ヨット部として大学に届け出て大学から右届出を受理された大阪教育大学の運動部の一つであつて、ヨットの操舵、製作を通じて、ヨットに関する知識、技能を高め、合わせて海洋に親しみ、心身を鍛練し、部員相互の親睦を図ることを目的としており、ヨット部の構成員は大学在籍学生から成つている。ヨツト部がヨツト部としての届出をしたさい、大学学生課に対しては、ヨット部がかつて同好会として届け出たさいに提出した規約を、そのままヨット部の規約として届け出た。右ヨット部の規約には、ヨット部の活動内容として、操舵訓練、夏期強化合宿、ヨット製作、機関誌の発行、一般向け講習会を行う旨定められている。なお、ヨット部は体育会には加入していない。(右四でみた原告らと被告国、同三宅との間で争いがない事実のほか、大阪教育大学ヨット部が昭和四七年ころ大阪教育大学ヨット同好会として発足し、のちに大学にヨット部として届出をして大学から右届出を受理されたことは、原告らと被告国、同三宅との間では争いがない。)
2 大阪教育大学において課外クラブを設置する場合は、規約を定め、クラブ参加者名簿を添付して、顧問教官の認印を得たうえで大学学生課に届け出なければならず、かつクラブ設置後は毎年春に団体更新届を顧問教官の認印を得たうえで同課に届け出なければならない。なお、右の顧問教官は、クラブ員の総意により、大学の教官の中から委嘱されるものであつて、大学によつて委嘱されるものではない。そして、顧問教官の委嘱を受けた教官が右申出に応ずるか否かはその教官の任意に委ねられていて、就任が義務づけられるものではない。また、顧問教官は、当該クラブ活動に関して専門的技術あるいは知識を有しているとは限らず、またそれが必要とされるものではなく、当該クラブ活動への参加も義務づけられていない。大阪教育大学には、課外クラブの顧問教官についての明文の規定は存在しない。
3 大学は、課外クラブに対し、活動に供する部室や大学の管理する諸施設の使用を許可しあるいは物品を貸与するなどの便宜を与えてきた。ヨット部について、大学は、天王寺分校構内にある部室の使用を許可したほか、ヨット部(ただし、昭和五三年当時のヨット同好会)の活動の便宜に供するために昭和五三年五月から小豆島において艇庫を賃借してその使用を許し、またヨット部(ただし昭和五六年三月当時のヨット同好会)がその練習場を小豆島から琵琶湖の今宿浜に移転したさいに、ヨット部の活動の便宜に供するために、昭和五六年三月二二日ころ、大阪教育大学教育振興会の名で、今宿荘の所有者田中宏と賃貸借契約を締結し(右契約締結交渉を行つたのは、大学学生係長腰原秀敏である。)、これに基づき、今宿荘の一部を大学関係者が泊れる形式のいわゆる湖の家として賃借したが、右湖の家を、実際には、ヨット部の定期練習、合宿、ヨットスクールのための宿泊所及び休憩所としてヨット部に使用させている。また、大学は、被告国の費用で右今宿荘敷地内にヨット部のためにヨットを収納する艇庫、及び、救命胴衣などのヨットの備品を収納するロッカー(以下「本件ロッカー」という。)を設置し、ヨット部にその使用を許している。さらに、大学は、ヨット部のために、被告国の費用で、ヨット二艇、監視船としてモーターボート、手漕ぎボート各一艇、及び右手漕ぎボートに備え付けて使用すべき船外機三台を購入し、ヨット部にその使用を許し、備品も一部右被告の費用で購入し、ヨット部に貸与していた(たとえば、大学は、救命胴衣については合計一四個を右被告の費用で購入し、ヨット部に貸与していたが、そのうち五個は、本件事故当時は修理のために大学で保管されており、本件ロッカーには保管されているのは九個であつた。)。(今宿荘敷地内にヨット部の部員の私有物やヨット部品などが置かれていたこと、大学が被告国の費用で右被告所有のヨットを保管する艇庫を今宿荘敷地内に設置していること、大学は、右被告の費用でヨット二艇、監視船としてモーターボート、手漕ぎボート各一艇、及び右手漕ぎボートに備え付けて使用すべき船外機三台を購入し、ヨット部にその使用を許していたことは、原告らと被告国、同三宅との間では争いがない。)
4 ヨット部員が長期間にわたる大学外でのヨット部の活動計画を立てたときは、「学外における行事許可願」を顧問教官に提出し、これに顧問教官の認印を得て学生課補導部へ提出することによつて届け出なければならないことになつており、特にヨット部が大学外においてヨットスクールを開催するさいには、その実施要綱、参加者名簿、パンフレットを右「学外における行事許可願」に添付しなければならないことになつていたが、右以外の部活動については大学に対する届出は不要であつたし、右届出は危険防止の観点から従前の慣例に従つて報告的に行われていたものにすぎず、右届出にさいし、大学当局ないし顧問教官が具体的に指導監督することを予定するものではなかつた。
その他、大阪教育大学は、入学時に全学生に交付したパンフレットである「学校生活案内」ないし学生向けの広報紙である「学園便り」によつて、運動部は財団法人スポーツ安全協会のスポーツ安全傷害保険に加入するように呼びかけてきたが、ヨット部の場合には、さらにヨット部の部長であつた被告昌彦が、学生係長腰原のもとに学生課にヨット部として届出をしたことについてあいさつに来たときに、昭和五六年度も右保険に加入するようにすすめて、右保険加入申込用紙を交付したことがある。ただし、大学としては、保険加入についても、これを勧告するにとどまり、右保険契約も、大学を通さず、直接財団法人スポーツ安全協会との間で締結することになつている。
大学は右のような限度で課外クラブに関与するにとどまるものであり、課外クラブの活動は、もつぱら各クラブ員の総意による自主的な運営にまかされており、大学当局が個々のクラブ運営に指導介入することは全くなかつた。
また、ヨット部の活動費用は、部員の負担する部費(入部金を含む。)及び大学卒業生からの寄付金、ヨットスクールによる利益などでまかなわれ、大学からヨット部に対して補助金は交付されていなかつた。(部員が長期間にわたる大学外でのヨット部の活動計画を立てたときは、顧問教官や学生課指導部へ「学外における行事許可願」を提出することによつて届出をしていたことは、原告らと被告国、同三宅との間では争いがない。)
5 ヨット部の顧問教官は、昭和五六年四月以降本件事故当時も含めて被告三宅であつた。右被告は、顧問教官に就任する以前にヨットのディンギータイプ(小型)に三年間、クルーザータイプ(大型)に五年間乗艇した経験があり、ヨットについての知識が相当あつた。そこで、右被告は、大学構内でヨット部の部長であつた被告昌彦と会つたさい、ヨット部の活動状況について説明を受けたり、ヨット部が合宿したりヨットスクールを行う場合にパンフレットや日程表を持参させてその概略の説明を受けたり、さらに同年五月三日、同年八月一日ないし同月二日のヨット部の定期練習に参加したりしており、そのさい右被告がたまたま部活動について不備な点を発見した場合は、被告昌彦に右不備な点を是正するように注意したり、それが備品などの補充などの費用を要する場合は大学学生課に援助するように申し出たりすることもあつた。また、被告三宅は、元ヨット部員(大学卒業生)と現ヨット部員との交流を図ることを目的としてヨットスクールを開催したりしたこともあつた。
しかし、被告三宅は、たまたま不備な点を発見した場合に右のように指摘することはあつても、ヨット部の運営に干渉することはなく、その運営は部員の総意で自主的に行つており、ヨット部が、その運営について顧問教官である被告三宅に相談したり、その指導監督を受けることはなかつた。
6 ヨット部は、右のとおり、琵琶湖今宿浜に艇庫を持ち、今宿荘内の湖の家を宿泊所ないし休憩所として使用して、日常の練習やヨットスクールは今宿浜で行つていた。
本件事故当時、ヨット部には部長である被告昌彦、副部長である同神原、会計担当者である同大介以下二一名の部員がいた。ヨット部は、右のとおり、運動部の一つではあるものの、実態はヨット部がヨット同好会であつたときと差異はなく、また専任のコーチはおらず、部員が先輩部員の指導を受けながら自主的に練習するのが常であつた。たとえば、ヨットに乗艇するさいにヨット乗艇者の生命、身体への危険の防止の点から救命胴衣を着用することが不可欠であることは、新入部員が最初の乗艇練習を行うときに同乗して技術指導にあたる先輩部員が新入部員に対して教えており、本件ヨットスクール当時、一雄を含めたヨット部員全員の間で現実に周知徹底されていた。
ヨット部には、部長、副部長、会計担当者の役割についての規約は存在しない。実態としては、部長は、ヨット部の代表者として、大学に団体届を提出し、大学から物品、施設を借用し、大学学生課に物品の購入その他の援助につき交渉すること、部の運営方法、物品の購入、管理、保管、財団法人スポーツ安全協会のスポーツ安全傷害保険への加入などについて部会を開き、部会の司会をつとめて各部員と相談のうえこれを決定すること、入部希望者の連絡を受け、入部希望者に部の実態、方針を説明すること、合宿時には合宿に利用する民宿と交渉すること、練習及びヨットスクールにおいて、開始、終了を決定し、乗艇の組み合わせその他実施方法を各部員と打ち合わせて決定することなど、いわば部のまとめ役の役割を任つてきた。また、副部長の役割は、部長を補佐すること、部長不在時には部長の仕事を代行することなどであつた。そして、会計担当者の役割は、部員から部費を徴収すること、預つた部費を保管すること、部活動において使つた費用の経理をすることであつた。部長、副部長、会計担当者が、それぞれ部長、副部長、会計担当者として、ヨット部の部員を指導することはなかつた。
以上の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
六そこで、被告国の責任について判断する。
既にみたとおり、一雄は、ヨット部の通常の部活動であるヨットスクール(本件ヨットスクール)中に本件事故により死亡したものである。そして、原告らは、請求原因3(一)(3)に記載しているとおり、大学当局は、ヨット部に対して、滋賀県小型船安全規則で定められたとおり各ヨットの各最大とう載人数を合計した数の救命胴衣を艇庫に備えつけておくのみならず、ヨットを湖上に出艇させるさいには、必ず各ヨットの最大とう載人数にみあう救命胴衣を各艇に備え付けるようにすること、ヨット乗艇時には救命胴衣を着用すること、ヨットスクールを行うさいには、各ヨットが同じコースを帆走し、モーターボートなどが伴走し、かつ各ヨットに少なくとも一人はヨット操舵に熟練した上回生が乗艇するようにすることを、それぞれ指導監督する義務があると主張するので、大学当局にそのような義務があるか否かについて検討する。
1一でみたとおり、大阪教育大学は国立大学である。
国立大学における学生の在学関係は、契約によつて生ずるのではなく、国の行政処分(入学許可)により発生する営造物利用関係であるというべきであり、私立大学における在学関係とは異なる。しかしながら、このことから直ちに国立大学の学生に対する安全配慮義務が否定されるものではなく、右行政処分によつて発生した法律関係が一定の目的すなわち教育及び研究の目的の達成のための管理権を伴うものである以上、信義則により、管理をなすべき者(大学当局)は被管理者(学生)の生命、身体についての安全配慮義務を、右法律関係に内存するものとして、またはそれに付随する義務として負うものと解するのが相当である。そして、右義務の具体的内容は、学生の年令、個々の事柄及び具体的状況によつて異なり、また尽くすべき注意の程度も差異があるというべきである。
2 大学は、高等学校を卒業した者もしくは通常の過程による一二年の学校教育を修了した者またはこれと同等以上の学力があると認められた者に対し、専門教育を施す教育機関であるから、大学における教育が高度に専門的なものでなければならないことはいうまでもないが、同時にそれは、知的、技術的に偏向しない幅広い人間性の涵養、人格の陶冶その他の教養、健全な心身を伴わなければならないのであつて、右の専門教育はこれを基盤とすることによつて初めて本来の目的を達成しうるのである。そして、教育とくに右大学教育の本質からすれば、学生が自主的に考え、自主的に勉学研究することが肝要であるから、学生の勉学においても、また課外活動においても、それらが自主的に行われることが奨励されるべきである。一方、大学においては、学生は成年者またはこれに近い年令の者であるばかりでなく、いずれも大学教育にふさわしい者として選択されたものであるから、その肉体的、精神的発達状況に照らすと、大学としてはできるかぎり学生の自主性を尊重することが教育の成果を上げるゆえんであり、またそのようにしても通常支障を生じないのである。
国立大学における教育は、国立学校設置法六条の二、七条及びこれらの規定に基づき文部省が定める「国立大学の学科及び課程並びに講座及び学科目に関する省令」によつて定められた学科及び課程内容に従つて行われるべきものであるが、課外クラブ活動は、右法令の根拠に基づくものではなく、教育課程外の活動であつて、それ自体前記の専門教育とは必ずしも直接に結びつくものではない。しかし、課外クラブ活動は、教養を深め、心身の鍛練を図るなどの点に教育的意義を見い出すことができるばかりではなく、課外クラブ活動が自主的に行われること自体に少なからざる教育的意義を見い出すことができるといえる。
したがつて、大学は、大学における課外クラブ活動は、大学における教育目的に副うものとして、課外クラブ活動に関心を持ち、必要な援助、便宜を与え、必要な指導をすることがその教育目的に資するゆえんであると考えられるが、同時に、右の指導は、たとえばクラブ活動が本来の目的を逸脱しまたはそのおそれがあると認められたときなどに行われるべき必要最小限のものに限られるべきであり、クラブの予算作成、支出、活動計画、練習方法、一般向け講習会の実施方法などの個々のクラブ活動の運営は、本来学生により自主的に行われるべきものであつて、そのようにしてこそ右の教育目的がより一層達成されるものといえる。
五でみたとおり、大阪教育大学が課外クラブに部室や大学の管理する諸施設の使用を許可し、部品を貸与して課外クラブ活動を奨励するのは、右の目的に出たものであり、その意味で、大学における課外クラブ活動も大学の教育活動の一環にとり入れられているものといえ、大学当局は、課外クラブ活動に関しても、在学関係に付随する義務として、学生の生命、身体についての安全配慮義務を負うものというべきである。
3 そこで、進んで、大学当局が課外クラブであるヨット部の部活動中の学生の生命、身体の安全に配慮すべき具体的義務を負うか否かにつき検討する。
一般に、スポーツ活動は、多かれ少なかれ危険を伴うものであり、しばしば不測の事態を生じることのあることは知られているが、必要かつ適切な対策を講じ、注意を払えば、可及的にその危険性を除去ないし減少することができるものであつて、これらの対策及び注意は、それ自体ある程度専門的知識、経験を要することがあるにしても、かなりの程度に定型化され単純化されているものであり、そのため、スポーツ活動が一面では危険を伴うことがあるにもかかわらず、広く奨励されているのである。
右にみたスポーツの特質、2でみたとおり大学の課外クラブ活動が本質的に自主的に行われるべきであること、及び構成員の肉体的、精神的発育状況からすると、課外クラブである運動部がスポーツ活動を行う場合に、危険防止につき必要かつ適切な対策を講じ、注意を払うこともまた原則的には課外クラブまたクラブ員の自主性に委ねられており、具体的には、自らコーチ等の専門家による指導を仰ぎ、あるいはクラブ員相互の研鑽または自己開発努力等によりこれを達成し、そのようにして得られた成果を部の伝統として後輩に伝えていくべきものであつて、この過程において大学側の指導育成を必要とすべきものではないというべきである。また、もともと大学当局は、スポーツ系の大学を別とすると、一般的には各種のスポーツ活動から生じる危険を除去する具体的諸方策を逐一指導し、またはその対策を立てる能力をもつものではないというべきである。したがつて、既にみたとおり、大学当局は、課外クラブ活動に関しても、在学関係に付随する義務として、学生の生命、身体についての安全配慮義務を負うものであるから、もとより課外クラブ内でリンチや練習に名を借りたしごき等クラブ活動の目的から逸脱した行為によつて危険を生じるおそれのある場合は、大学当局としては必要な措置をとるなどして危険の発生を未然に防止する具体的措置を講ずべき義務があり、また課外クラブから届け出されたクラブの構成や活動計画について一見して明らかな安全対策上の不備がありそのクラブ活動の実施において危険が予想される場合には、これを指摘し、学生らに注意を喚起し、かつそれでもなお改善されないときは、大学当局自体が安全対策を講ずるかあるいはクラブ活動を中止するよう勧告すべき義務があるというべきであるが、通常の個々のクラブ活動において大学当局が常にクラブ員の安全を配慮してクラブを指導監督をしなければならないものではないというべきである。
五でみたとおり、大阪教育大学においては、ヨット部などの運動部の活動は自主的な運営にまかされており、この運営について大学当局が個々的に指導介入をすることはないが、これは前記の大学における課外クラブのあり方に照らすと、むしろ当然のこととして是認できる。そして、四でみたとおり、本件事故は、ヨット部の通常の部活動であるヨットスクール(本件ヨットスクール)において発生したものであり、またヨット部から届け出されたクラブの構成やヨット部が本件ヨットスクールを行うために届け出たヨット部定期活動の内容について一見して明らかな安全対策上の不備があつたことを認めるべき証拠はない。
したがつて、大学当局は、ヨット部の通常の部活動である本件ヨットスクールにつき、ヨット部員の安全を配慮して、ヨット部ないしヨット部員に対し、具体的に指導監督すべき法的義務はないものというべきである。
そうすると、大学当局がヨット部の通常の部活動である本件ヨットスクールにつきヨット部に対して具体的に指導監督すべき法的義務があることを理由とする原告らの被告国に対する国家賠償法一条一項に基づく損害賠償請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。
なお、本件事故艇は、被告国が所有するものではなく、ヨット部が所有しているものであるから、滋賀県小型船安全規則一〇条一項により救命胴衣を本件事故艇に備えるべき義務を負担しているのはヨット部であり、また同規則一二条一号によつて本件事故艇について救命胴衣などの備え付けなどを確認する義務を負担していたのは本件事故艇の艇長をしていた一雄であつて、いずれの義務も右被告は負担していない。したがつて、右規則に基づいて負担する各義務が公法上の義務にとどまらず、一雄らヨット部員に対する私法上の義務であると解する余地があるか否かを論ずるまでもなく、右被告に対し、右規則に基づいて負担する義務に違反することを理由として損害賠償を請求することもできない。
七次に、被告三宅の責任について判断する。
一でみたとおり、被告三宅は、昭和五六年四月以降本件事故当時も含めてヨット部の顧問教官であつた。
しかしながら、五でみたとおり、(1) 顧問教官は、クラブ員の総意により委嘱するものであつて、大学によつて委嘱するものではなく、(2) 顧問教官の委嘱を受けた教官が右申出に応するか否かはその教官の任意に委ねられているのであつて、その就任が義務づけられているものではなく、かつ大学に顧問教官についての規定も存在せず、(3) 顧問教官は、当該クラブ活動に関して専門的役割あるいは知識を有しているとは限らず、またそれが必要ともされておらず、かつクラブ活動への参加が義務づけられておらず、(4) また、ヨット部が長期間にわたる大学外でのヨット部の活動計画を立てたときは、「学外における行事許可願」を顧問教官に提出し、これに顧問教官の認印を得て大学学生課補導部へ提出することによつて届け出なければならないことになつているが、右届出は危険防止の観点から従前の慣例に従つて報告的に行われていたものにすぎず、右届出にさいして顧問教官が具体的に指導監督することを予定するものではなく、(5) ヨット部の運営は部員の総意で自主的に行つており、ヨット部がその運営について顧問教官である右被告に相談したり、その指導監督を受けることはなかつたのであつて、これと六でみた大学と課外クラブ活動との関係を合わせ考えると、ヨット部の顧問教官である右被告は、ヨット部の活動内容に関して、指導監督をする義務を負うものではなく、ただヨット部や部員に対する助言者ないし精神的な協力者として側面から援助するものにすぎないと解するのが相当であつて、ヨット部の顧問教官としての地位において、ヨット部の部活動にさいして、ヨット部ないしヨット部員に対し指導監督すべき義務はないものということができる。
もつとも、五5でみたとおり、右被告がヨット部ないしヨット部員に対して多少の指導をしたことがあるが、そうしたことがあつたからといつて、直ちに右被告に本件ヨットスクールにつきヨット部ないしヨット部員に対して指導監督すべき義務があるということはできない。
したがつて、右被告には不法行為の前提たる注意義務があるということができないから、原告らの右被告に対する損害賠償請求はその余の点について判断するまでもなく理由がない。
八次に、被告昌彦、同神原、同大介の損害賠償責任の有無につき判断する。
1 まず、右被告らに対する主位的請求につき判断することとする。
一でみたとおり、被告昌彦は本件事故当時ヨット部の部長であり、同神原は同副部長であり、同大介は同会計担当者であつた。
そして、原告らは、請求原因8(三)(2)(ア)掲記のとおり、(1) 滋賀県小型船安全規則で定められたとおり各ヨットの各最大とう載人数を合計した数の救命胴衣を艇庫に備えつけておくのみならず、ヨットを湖上に出艇させるさいには、必ず各ヨットの最大とう載人数にみあう救命胴衣を各艇に備え付けるようにすること、(2) ヨット乗艇時には救命胴衣を着用すること、(3) ヨットスクールを行うさいには、各ヨットが同じコースを帆走し、モーターボートなどが伴走し、かつ各ヨットに少なくとも一人はヨット操舵に熟練した上回生が乗艇するようにすることを、それぞれ指導監督する義務があると主張する。
しかしながら、五でみたとおり、ヨット部は運動部の一つであるものの、実態はヨット部がヨット同好会であつたときと差異はなく、また専任のコーチはおらず、部員が先輩部員の指導を受けながら自主的に練習するのが常であり、ヨット部には、部長、副部長、会計担当者の役割についての規約は存在せず、実態としては、部長は、ヨット部の代表者として、大学に団体届を提出し、大学から物品、施設を借用し、大学学生課に物品の購入その他の援助につき交渉すること、部の運営方法、物品の購入、管理、保管、財団法人スポーツ安全協会のスポーツ安全傷害保険への加入などについて部会を開き、部会の司会をつとめて各部員と相談のうえこれを決定すること、入部希望者の連絡を受け、入部希望者に部の実態、方針を説明すること、合宿時には合宿に利用する民宿と交渉すること、練習及びヨットスクールにおいて、開始、終了を決定し、乗艇の組み合わせその他実施方法を各部員と打ち合わせて決定することなど、いわば部のまとめ役の役割を任つてきたのであり、また、副部長の役割は、部長を補佐すること、部長不在時に部長の仕事を代行することなどであり、そして、会計担当者の役割は、部員から部費を徴収すること、預つた部費を保管すること、部活動において使つた費用の経理をすることであり、それぞれ部長、副部長、会計担当者として、ヨット部員を指導監督することはなかつたのである。
そうすると、右被告らは、それぞれ部長、副部長、会計担当者の地位において、ヨット部の部活動にさいし、ヨット部ないしヨット部員に対し指導監督すべき義務はないものということができる。
しかも、五でみたとおり、右の(2)の点については、ヨットに乗艇するさいの救命胴衣を着用することが不可欠であることは、新入部員が最初の乗艇練習を行うときに、同乗して技術指導にあたる先輩部員が新入部員に対して教えており、本件ヨットスクール当時一雄を含めたヨット部員全員の間で現実に周知徹底されていたのであるから、右被告らが、本件ヨットスクールにつき、ヨット乗艇時に救命胴衣を着用することをヨット部ないしヨット部員に対して指導監督する必要はなかつたのであつて、このことからも、右被告らが右(2)の点をヨット部ないしヨット部員に対して指導監督すべき義務はなかつたということができる。また、右(3)の点のうち各ヨットが同じコースを帆走することについては、<証拠>によれば、ヨットスクールを行うさいに各ヨットが同じコースを帆走する必要はないことが認められ、<反証排斥略>、また(3)の点のうち、ヨットスクールを行う場合にモーターボートを伴走させることについては、なるほど<証拠>によれば、本件ヨットスクールにおいて各ヨットが湖上で乗艇練習をしたさい、モーターボートなどの監視船を伴走させる方が妥当であつたと認められるが、本件全証拠によつても、それが不可欠であつたとまでは認めることができず、さらに、(3)の点のうち各ヨットに少なくとも一人はヨット操舵に熟練した上回生を乗艇させるようにすることについては、二でみたとおり、本件事故艇に同乗した一雄及び被告木村はともに大学一回生であるとはいえ、ヨットの操舵に関して相当の技量を有しており、上回生の部員とそれほどの技量の差はなく、本件事故艇出艇当時の気象条件は、一雄や右被告の技量からみて本件事故艇の操舵に支障をきたす程度ではなかつたものであるから、本件事故艇に一雄、右被告、ヨットスクール生の明子が乗艇し、上回生のヨット部員が同乗しなかつたことに、適切を欠く点があつたとまでいうことはできないのであつて、結局これらの点に合わせて考えてみて、被告昌彦、同神原、同大介が右3の点をヨット部ないしヨット部員に対して指導監督すべき義務はなかつたということができる。
もつとも、被告昌彦については、右(2)の点につき、右でみたとおり、ヨット部の部長としてヨット部ないしヨット部員に対して指導監督すべき義務があつたということはできないが、既にみたとおり、ヨット部の部長として、ヨット部の物品の購入、管理、保管などについて部会を開き、各部員と相談のうえこれらを決定すべき役割があつたといえるから、ヨット乗艇者の生命、身体に対する危険防止の点から不可欠である救命胴衣につき、ヨット部の練習ないしヨットスクールにおいてこれらに参加したヨット部員及びヨットスクール生全員の人数に相当する数を、右練習ないしヨットスクールにおいて利用しうる態様でヨット部の部品として保管しておくことについて、全く責任がなかつたとまでいうことはできない。
なお、滋賀県小型船安全規則一〇条一項によれば、ヨット所有者は、当該ヨットの最大とうさい人員に相当する人員を救助するために必要な救命浮環、救命胴衣その他の適当な救命用具を各ヨットに備えなければならないとされているが、ヨット部員の生命、身体に対する危険防止の点からいえば、各ヨットの各最大とうさい人数を合計した数の救命胴衣を右練習ないしヨットスクールに利用しうる態様で保管していたか否かが問題ではなく、ヨット部の練習ないしヨットスクールにおいてこれらに参加した部員及びヨットスクール生全員の人数に相当する数の救命胴衣を右練習ないしヨットスクールに利用しうる態様で保管していたか否かが問題になる。
五でみたとおり、本件ヨットスクール当時本件ヨットスクールの行われた今宿浜から至近距離のところにヨット部が使用する救命胴衣を収納する本件ロッカーが設置されており、大学はヨット部に合計一四個の救命胴衣を貸与し、そのうち九個が(それらが使用可能であつたとは断定できないが)少なくとも本件ロッカーに保管されていたのであり、また五でみた事実に、<証拠>によれば、本件ヨットスクールにおいて、午後の再出艇(本件事故艇他三艇が午後二時一〇分ないし二〇分までの間に再出艇した。)に参加したヨットスクール生及びヨット部員のうち、ヨットスクール生七名全員及びヨット部員の江崎一博が救命胴衣を着用し、江崎以外のヨット部員である長岡福一、一雄、被告大介、同木村は救命胴衣を着用しなかつたことが認められる(右認定に反する証拠はない。)から、本件ヨットスクール当時本件ロッカーに使用可能な救命胴衣が少なくとも八個以上は保管されていたことが推認される。
そこで、本件ヨットスクール当時本件ロッカーに使用可能な救命胴衣が午後の再出艇に参加したヨットスクール生及びヨット部員全員の人数に相当する数以上すなわち一二個以上保管されていたか否かを判断するために、本件ヨットスクール当時本件ロッカーに保管されていた使用可能な救命胴衣の個数、本件ヨットスクールのさいに本件ロッカーから今宿浜へ救命胴衣を運び出した方法、態様、午後の再出艇時にヨット部員については江崎一博のみが救命胴衣を着用していた理由について、本件ヨットスクールに参加した各部員(長岡福一、江崎一博、上田匠、被告昌彦、同大介、同木村)及びヨットスクール生(田里明子)、本件事故後の捜索に関与した学生係長腰原秀敏及び顧問教官被告三宅、ヨット部の被告昌彦の前任の部長であり、かつ本件事故後の捜索に関与した竹内健司は、当裁判所でいかなる供述をしたかをみることにする。
(一) 長岡福一は、証人として、本件ヨットスクール当時本件ロッカーに保管されていた使用可能な救命胴衣の個数はわからないが、本件ヨットスクール以前に合計一五名が参加した本件ヨットスクールより多数の人間が参加したヨットスクールが開催されたさいに、右参加者全員が着用しうるだけの数の救命胴衣が本件ロッカーに保管されていた旨、一般的に救命胴衣は人数分数えて本件ロッカーから運び出すのではなく、人数に合わせた大体の数の救命胴衣を本件ロッカーから運び出すのが常である旨、午後の再出艇時に今宿浜を一度軽く一瞥したところ救命胴衣が発見できなかつたので、一雄ないし被告木村に救命胴衣の所在場所を尋ねたさい、一雄ないし右被告は長岡なら救命胴衣を着用しなくてもいいのではないかと返答した旨、長岡が午後の再出艇のさい救命胴衣を着用しなかつたのは、ヨットスクール生二名が長岡がヨットに乗艇するのを待つていたので急いだのと、長岡が乗艇したヨットであるヤマハー一六は他のヨットより転覆しにくいので油断していたことが原因である旨、各供述している。
(二) 江崎一博は、証人として、本件ヨットスクール当時本件ロッカーに保管されていた使用可能な救命胴衣の個数が七、八個にすぎなかつたということはない旨、一般的に救命胴衣は、ヨットに乗艇する各人が本件ロッカーから一個ずつ運び出すのではなく、一人が複数個運び出すのが常であるが、江崎は午後の再出艇時に本件ロッカーから救命胴衣を運び出して着用したのではなく、今宿浜に置かれていた救命胴衣を着用したものであり、ただ、午後の再出艇に備えて今宿浜に置かれていた救命胴衣の個数はわからない旨、各供述している。
(三) 上田匠は、証人として、本件ヨットスクール当時本件ロッカーに保管されていた救命胴衣の個数は二〇個近いと記憶している旨、一般的には救命胴衣は、ヨットに乗艇する各人が本件ロッカーから一個ずつ運び出すのが常であるが、本件ヨットスクールにおいては、ヨットスクール生のために少なくともヨットスクール生の分は一括して今宿浜に運び出した旨、各供述している。
(四) 被告昌彦は、本件ヨットスクール当時本件ロッカーに保管されていた使用可能な救命胴衣の個数は約二四ないし二五個であり、右被告がヨット部の部長であつた間(昭和五五年八月以降本件ヨツトスクール当時も部長であつた。)に、救命胴衣などの備品の個数を定期的に確認したことはないが、部活動に支障をきたすようになれば随時補充していた旨、右被告が、本件ヨットスクールのさいに、本件ロッカーから救命胴衣を運び出したか否かについては記憶がない旨、本件ヨットスクールのさい救命胴衣は今宿浜のヨットに乗艇しようとする人にとつて発見しやすい場所に置かれ、その数はヨットスクール生、各部員が着用するのに十分な数であつたと思うが、数えていないので正確な数はわからない旨、各供述している。
(五) 被告大介は、本件ヨットスクール当時本件ロツカーに保管されていた使用可能な救命胴衣の個数は二〇個以上であつた旨、本件ヨットスクールのさい本件ロッカーから救命胴衣を今宿浜へ運び出すのに右被告も参加し、右被告が運び出した救命胴衣の個数は明確ではないが二個ないし三個であると思うが、ただし、今宿浜へ運び出された救命胴衣の合計数はわからない旨、午後の再出艇のさい今宿浜に多数の救命胴衣が置かれていた記憶はないが、右被告は救命胴衣を探さずにヨットに飛び乗つたものである旨、右被告が午後の再出艇のさい右被告が救命胴衣を着用しなかつたのは、急いでヨットに飛び乗つたのと、本件ヨットスクールは遊びという気持ちがあつたことが原因であると思う旨、各供述している。
(六) 被告木村は、本件ヨットスクール当時本件ロッカーに保管されていた使用可能な救命胴衣の個数は明確ではないが、本件事故後の捜索に使用した救命胴衣の個数から考えて約二〇個であつたと思う旨、本件ヨットスクールのさい、救命胴衣はヨットスクール生及び部員の合計数に相当する分を誰かが本件ロッカーからまとめて今宿浜へ運び出したと思うが、誰が運び出したのかわからない旨、本件ヨットスクールのさい午前の出艇の準備のために約一七ないし一八個の救命胴衣が今宿浜に置かれていたと思う旨、午後の再出艇時にも救命胴衣は今宿浜に置かれていたと思うが、明確な記憶はない旨、右被告が午後の再出艇のさいに救命胴衣を着用しなかつたのは、本件ヨットスクールが部活動ではなく遊びであつたことが原因である旨、各供述している。
(七) 田里明子は、証人として、午後の再出艇のさい、救命胴衣は今宿浜に一か所にまとめて置いてあり、その個数については記憶がないが、ヨットスクール生全員が着用してもなお約一〇個余つていた旨供述している。
(八) 腰原秀敏は、証人として、本件事故の翌日本件ロッカーの中を見たところ、数は正確には確認していないが、二〇個近くの救命胴衣が保管されていた旨供述している。
(九) 被告三宅は、本件事故後その当日の夕方、本件ロッカーを見たところ、救命胴衣は相当数保管されており、かつ、本件事故後の捜索のさい、本件ロッカーに保管されていた使用可能な救命胴衣の個数は二〇個前後は存在したと思う旨供述している。
(一〇) 竹内健司は、証人として、竹内がヨット部の部長をしていた時期(昭和五四年八月から同五五年八月までの間)に本件ロッカーに保管されていた使用可能な救命胴衣の個数は約二〇個であり、かつ竹内が本件事故後の捜索に参加したさい、救命胴衣の個数は竹内が部長をしていた時期のそれより減少したという印象は持たなかつた旨供述している。
以上のとおりであつて、右各供述を総合しても、本件ヨットスクールのさいに、誰が救命胴衣を本件ロッカーから今宿浜へ運び出したか、またその方法、態様、運び出した個数が明確にならず、さらに、本件ヨットスクール当時ヨット部員全員の間でヨットに乗艇するさいに救命胴衣を着用することが不可欠であることは現実に周知徹底されているにもかかわらず、ヨット部の部活動である本件ヨットスクールの午後の再出艇に参加したヨット部員五名のうち、江崎のみが救命胴衣を着用し、残りの四名は着用しなかつた理由が明確にならない。このことは、確かに、本件ヨットスクール当時本件ロッカーに使用可能な救命胴衣が午後の再出艇に参加したヨットスクール生及びヨット部員全員の人数に相当する数以上すなわち一二個保管されていたことについて一応の疑念を生じさせる事情といえるが、ただ、本件ヨットスクールに参加したヨット部員及びヨットスクール生、本件事故後の捜索に関与した学生係長及び顧問教官、ヨット部の被告昌彦の前任の部長であり、かつ本件事故後の捜索に関与した者全員が、その各供述において、救命胴衣の個数についても個々に異なる供述をしながら、本件ヨットスクール当時本件ロッカーに使用可能な救命胴衣が午後の再出艇に参加したヨットスクール生及びヨット部員全員の人数に相当する数以上すなわち一二個以上保管されていたとの事実についてみれば、一致して同事実に副う供述をしており(全員が口裏を合わせて右のような供述をしたとは、本件の全資料を総合しても、うかがえない。)、右各供述を覆すに足りる証拠がない以上、本件ヨットスクール当時本件ロッカーに使用可能な救命胴衣が、原告のいうように、午後の再出艇に参加したヨットスクール生及びヨット部員全員の人数に相当する数に満たなかつたとの事実を認めるにはいたらない。
もつとも、この点につき、<証拠>によれば、一雄が所持していたヨット部関係の写真のうち、最も多数の救命胴衣が撮影された写真(検甲第四号証)上に写つている救命胴衣の個数は六個であることが認められ、また原告小林克輔本人尋問の結果中に、本件事故の翌日の捜索のさいにヨットに救命胴衣を着用せずに乗艇したヨット部員がおり、かつ右原告が右原告の代理人である小川弁護士らとともに、本訴提起後の昭和五八年四月一八日に、今宿荘の所有者である田中宏や今宿浜に隣接する和邇浜ヨットクラブのオーナーに会つて、本件ヨットスクール当時本件ロッカーに十分な数の救命胴衣が保管されていたか否かを尋ねたさい、右田中らはいずれも明確な回答をしなかつた旨の供述部分がある。
しかしながら、右検甲第四号証の写真に写つている以外の使用可能な救命胴衣が本件ヨットスクール当時本件ロッカーに保管されていなかつたことを認めるに足りる証拠はなく、かえつて、弁論の全趣旨によれば、検甲第四号証は、ヨット部の練習終了後に撮影した写真であつて、右写真に撮影されたヨット部員の中には、練習時には救命胴衣を着用していたが、写真撮影時には救命胴衣を脱いだ者がいた可能性のあることが認められるので、一雄が所持していたヨット部関係のうち、最も多数の救命胴衣が撮影された写真(検甲第四号証)に写つている救命胴衣の個数が六個であることをもつて、本件ヨットスクール当時本件ロッカーに保管されていた救命胴衣の個数が一二個に満たないとの事実を認めることはできない。また、右原告本人の供述部分のうち、本件事故の翌日の捜索のさいに救命胴衣を着用せずにヨットに乗艇したヨット部員がいた旨の部分は、その当時は右の点に気がつかなかつたが後で気がついた旨の供述などいささか不自然な部分を含み、にわかに措信することはできず、また右供述部分にあるように、右原告らが田中らに本件ヨットスクール当時本件ロッカーに十分な数の救命胴衣が保管されていたかどうかを尋ねたさい、右田中らが明確な回答をしなかつたからといつて、そのことから、右田中らが本件事故当時本件ロッカーに十分な数の救命胴衣が保管されていなかつたことまで認めたものと即断することはできないのであるから、結局右原告本人の供述部分をもつて、本件ヨットスクール当時本件ロッカーに保管されていた救命胴衣の個数が一二個未満であつたと断定することはできない。
他に、本件ヨットスクール当時本件ロッカーに保管されていた使用可能な救命胴衣の個数が一二個に満たなかつたことを認めるに足りる証拠はない。
そうすると、本件事故につき、被告昌彦には、ヨット部の部長の地位において、ヨットスクール生及びヨット部員全員の人数に相当する数の救命胴衣を利用しうる態様で保管しておく責任があることを否定することはできないとしても、その責任のあることを理由として、被告昌彦に損害賠償責任を認めるにはなお証拠が十分でないというほかはない。
したがつて、原告らの被告昌彦、同神原、同大介に対する主位的請求はいずれにしても理由がない。
2 次に、右被告らに対する予備的請求につき判断する。
(一) まず、被告神原、同大介に対する予備的請求につき判断する。
五でみたとおり、被告神原のヨット部の副部長としての役割は、部長を補佐すること、部長不在時に部長の仕事を代行することであり、同大介の同会計担当者としての役割は、部員から部費を徴収すること、預つた部費を保管すること、部活動において使つた費用の経理をすることであつて、財団法人スポーツ安全協会のスポーツ安全傷害保険に加入することを決定し、右加入手続を行うべき役割は負つていなかつたということができる。
したがつて、右被告神原、同大介に対する予備的請求は、右被告両名が不法行為の前提である右保険に加入する手続を行うべき法的義務を負つていたということができないから、その余の点について判断するまでもなく理由がない。
(二) 次に、被告昌彦に対する予備的請求につき判断する。
一でみた事実に、被告昌彦本人尋問の結果を合わせれば、被告昌彦は、昭和五五年八月以降本件事故当時も含めてヨット部の部長であつたことが認められ、右認定に反する証拠はなく、これに五でみた事実を合わせれば、右被告は、昭和五六年度における財団法人スポーツ安全協会のスポーツ安全傷害保険への加入につき部会を開催し部会の司会をつとめて各部員と相談のうえこれを決定すべき役割を負つていたということができる。
そして、<証拠>によれば、右保険は、財団法人スポーツ安全協会傘下のスポーツ団体、その他社会教育関係団体のうち、代表者を置き、かつ団体員が明確に把握されている団体の構成員を被保険者とし、被保険者の所属する団体の管理下における活動中の傷害事故及び団体が指定する集合、解散場所と被保険者の住所との通常の経路往復中の傷害事故につき、その損害を補償するものであり、ヨット部は右保険の対象となりうる団体であることが認められ、右認定に反する証拠はなく、また五でみたとおり、また原告らと被告昌彦との間では、ヨット部が従来毎年右保険に加入する手続を行つていたことは争いがなく、そして五でみたとおり、大学も運動部は右保険に加入するように呼びかけており、かつ右被告は、学生係長腰原から昭和五六年度も右保険に加入するようにすすめられ、右保険加入申込用紙の交付を受けたのであるから、右被告は、右保険の加入につき部会を開催して部員と相談のうえ、右保険に加入することを決定し、右保険に加入する手続を行うことが妥当であつたといえなくはない。
しかし、ヨット部員などの生命、身体に対する危険防止の点から不可欠である救命胴衣の保管と異なり、右保険は、右でみたとおり、被保険者の所属する団体の管理下における活動中の傷害事故などにつきその損害を補償するものであつて、右保険に加入する手続を行うことがヨット部の部活動にとつて不可欠であつたとまでいうことはできず、したがつて、右被告は、当該ヨット部員との間で当該ヨット部員につき右手続を行うことを特約した場合でない限り、当該部員に対し、右手続を行うべき法的義務を負担するものではないものというほかない。
そして、<証拠>によれば、昭和五六年度においても、ヨット部の部員のうち約半数の部員が右保険の保険料を被告大介に対して交付し右被告がこれを保管していたのであり、右保険料を交付した部員の中に一雄が含まれていた可能性が強いが、被告昌彦は、右保険料徴収後の部会において、一雄を含めたヨット部員全員に対し、昭和五六年度は未だ右保険に加入していない旨説明し、右保険には部員全員が保険料を被告大介に交付した段階で加入する旨申し入れたところ、一雄を含めたヨット部全員がこれを承諾したのであり、かつ本件事故当時までにヨット部員全員が被告大介に対する保険料の交付を済ませたわけではなかつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
そうすると、被告昌彦は本件事故当時までに右保険に加入する手続を行うべき法的義務は負担しなかつたものというべきである。
したがつて、被告昌彦に対する予備的請求も、右被告に不法行為の前提である右保険に加入する手続を行うべき法的義務があつたということはできないから、その余の点について判断するまでもなく理由がない。
九以上の次第で、原告らの被告らに対する本訴請求はいずれも理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官岨野悌介 裁判官富田守勝 裁判官中村也寸志)